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森ちゃんの修理ブログ#10 びっくりポンや

2015年11月12日

今回は東京都S区M様、私と同じイニシャルです。写真を御覧下さい。
びっくりポンや!これがあのピアノかと思うくらいです。



ピアノはベルトーンNo.55、皆様にはなじみの少ないピアノです。
かなりの年代物で、正直いつの製造か判りませんが、製造メーカーの富士楽器製造㈱は昭和43年に廃業しておりますので、それ以前の製造になります。
また、このピアノはぺタルが2本でした。
中央のぺタルが付いた3ぺタル仕様は、弊社では昭和38年頃には発売しております。当時は2ぺタル仕様と併売しておりました。当時のカタログを御覧下さい。大手Y社ではそれより後の時代ではなかったかなと思います。



今では珍しくなってしまったベルトーンですが、富士楽器製造㈱で作られました。
この会社は昭和7年野田秀治氏により浜松市薬師町で創業された㈱富士楽器製作所より歴史は始まります。
河合小市氏と共に日本楽器を退職した野田氏は、河合楽器研究所に参加し、昭和7年独立します。戦争の足音が聞こえてくる昭和14年頃には弾薬庫を製造し、昭和19年には静岡銀行の頭取の平野八郎氏を社長に迎え、天竜兵器㈱を設立し飛行機の主翼と尾翼を製造しました。その頃私の母親は(現在92歳職業は農業です。)独身で日本楽器で飛行機のプロペラを作っていたと今でも言っています。
終戦後天竜兵器で専務をしておった野田満氏は、昭和23年富士楽器製作所を起こしピアノ生産を再開します。最終的にはいくつかの社名の変遷を経て、最後の社名は㈱富士楽器になるようです。
なぜ廃業に至ったかと私が入社した頃業界の方に聞いたところ、作るピアノにコストをかけすぎて経営が苦しくなったとおっしゃる方もおられました。確かにピアノを裏から見ると、支柱(縦横のの数本の柱で、20トンを越える弦の張力を支える)・桁張り(ピアノ上部にあるピン板を取り付けた柱の裏に張られた大きな板)の材料を見ると、合板ではなく無垢の木材を使っており、ずいぶんとお金をかけていると思われます。
この会社は、最終的に昭和43年に廃業となりました。ベルトーンピアノには、こんな歴史の背景が有ります。
M様には是非この歴史を知って頂き、ベルトーンピアノを末永く大切にして頂きたいと思います。壊れたら、消耗したらまた修理をさせてください。いつでもウエルカムです。



さて、このピアノの修理の概要は以下の通りに行わせていただきました。
 修理は先ずご希望の3ぺタル改造より始めました。音を小さくするマフラーの新設です。ぺタルの窓を作り直して、内部機構を入れます。
次に内部のクリーニングを行い修理全般を実施します。
傷んだフェルト類は新しいものと交換します。
金属部品は外して錆を落し研磨します。
象牙は漂白し綺麗に磨き直します。



象牙の縞模様が見えますか?全塗装ですが、塗料は色々なものを目的毎に順番に重ね塗りしていきます。
実際には、外装の古い塗料を剥がし木地を出し、磨いて下地を整えます。白木になった下地にステインで着色し、サフェーサーを塗り、その上に透明のポリエステルを塗って平滑に研磨し、バフで磨きます。最後に整調・調律を行い出荷となります。文章で書くと簡単に見えますが、一つ一つの工程は、新品の製造よりもかなり手間の掛る作業です。全ての作業が終われば、「びっくりポン!」。



 弊社は、どんなピアノも「いらっしゃ~い」です。ピアノ製造に心血を注いだ技術者の方々。高価な楽器を我が子の為に苦労して購入されたお客様。そんな思いを受け止めて再び甦らせたいと思ったお客様。私たちはそのような方々の為に生かされていると思う此の頃です。






びっくりポンや  ― 平成27年NHK朝の連続テレビ小説 「あさがきた」 より ―



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